1972-04-22 第68回国会 参議院 予算委員会第一分科会 第1号
○政府委員(伊藤榮樹君) 浦和刑務所は、御承知と存じますが、昭和四十五年の暮れに川越少年刑務所のほうへ移転をいたしまして、そのあと地が約五万平方メートルあるわけでございます。このうち約四万平方メートルは、あとで申し上げますような官庁用地に予定しております。残りの約一万平方メートルを、埼玉県の御要望によりまして埼玉県へ払い下げるという計画でございます。
○政府委員(伊藤榮樹君) 浦和刑務所は、御承知と存じますが、昭和四十五年の暮れに川越少年刑務所のほうへ移転をいたしまして、そのあと地が約五万平方メートルあるわけでございます。このうち約四万平方メートルは、あとで申し上げますような官庁用地に予定しております。残りの約一万平方メートルを、埼玉県の御要望によりまして埼玉県へ払い下げるという計画でございます。
○伊藤説明員 御指摘いただきました案件は東京拘置所の移転問題に関連する一連の作業でございまして、昭和四十一年度に国庫債務負担の御承認をいただきまして、以来東京拘置所の敷地を財源といたしまして、現在小菅刑務所のありますところに東京拘置所、それから栃木県に黒羽刑務所、旭川の近傍に旭川刑務所、岡山に岡山刑務所、埼玉県に川越少年刑務所、浦和市内に浦和刑務所、以上の六施設を取得するという作業を進めてまいったわけでございます
甲府刑務所届けてない、浦和刑務所届けてない、神戸刑務所届けてない、栃木刑務所届けてない、千葉刑務所届けてない、横浜刑務所届けてない、これはたいへんです。電話代もかかりました、足代もかかりました。一々私もやはり改善すべきところは改善すべきだ、こういうふうなつもりで一生懸命調べました。ほとんど届けていない。当然届けなくていい地域があるんですよ、これは刑務所の規程に基づいて。そうですね。
結局巣鴨にございます東京拘置所のほかに、小菅の刑務所、川越少年刑務所、浦和刑務所、旭川刑務所などもあわせて移転を実施しようということになりまして、昭和四十一年度の国庫債務負担行為におきまして、川越市、岡山市、旭川市及び株式会社新都市開発センター、これだけを相手方といたしまして建築交換契約を締結して、実施に移ったわけでございます。
浦和刑務所のほうは、四十五年十二月三十一日に完成予定でございます。これは同じように新都市開発センターと契約をいたしております。それから岡山刑務所は、これはもう完成いたしました。旭川刑務所も完成いたしました。こういう状況でございます。
第二に、市原市に市原刑務所を設置し、浦和刑務所を廃止すること。第三に、塩釜市外四ヵ所に入国管理事務所の出張所を設置すること、等であります。 なお、本法案は、衆議院において、施行期日について所要の修正が行なわれております。
本案は、中央矯正研修所と地方矯正研修所を統合して矯正研修所とし、必要がある場合にはその支所を置くことができることとすること、市原市に市原刑務所を設置し、浦和刑務所を廃止すること、塩釜市ほか四カ所に入国管理事務所の出張所を設置すること等を内容といたしておるのであります。
第二点は、市原市に市原刑務所を設置し、また浦和刑務所を廃止するという点でございます。これは現在、いままで習志野に千葉刑務所の習志野支所がございまして、東京周辺の交通違反を犯しました禁錮刑の受刑者を集禁いたしまして、そこで特別の矯正教育を施しておりましたが、この習志野支所が市街地になりました関係で地元の習志野市から移転の要請がございました。
改正点の第二は、浦和刑務所の廃止と市原刑務所の新設であります。浦和刑務所の施設は、現在川越市に拡張建設中の川越少年刑務所が完成いたしました暁には不要となりますので、これを廃止することとし、また、現在交通関係受刑者の矯正施設としております千葉刑務所習志野刑務支所にかわるものとして、千葉県市原市に建設中の施設が完成しますので、これを市原刑務所としようとするものであります。
第二点は、浦和刑務所を廃止し、市原刑務所を設置することでございます。 浦和刑務所につきましては、現在川越市に川越少年刑務所を増設建設中でございます。これができ上がりますと、新川越少年刑務所におきましては、現在の川越少年刑務所と現在の浦和刑務所を一緒に収容できるくらいの規模になりますので、浦和刑務所が不要となる関係で、これを廃止するものでございます。
改正点の第二は、浦和刑務所の廃止と市原刑務所の新設であります。浦和刑務所の施設は、現在川越市に拡張建設中の川越少年刑務所が完成いたしました暁には不要となりますので、これを廃止することとし、また、現在交通関係受刑者の矯正施設としております千葉刑務所習志野刑務支所にかわるものとして、千葉県市原市に建設中の施設が完成しますので、これを市原刑務所としようとするものであります。
第二点は、浦和刑務所を廃止し、市原刑務所を設置することでございます。 浦和刑務所につきましては、現在川越市に川越少年刑務所を増設建設中でございます。これができ上がりますと、新川越少年刑務所におきましては、現在の川越少年刑務所と現在の浦和刑務所を一緒に収容できるくらいの規模になりますので、浦和刑務所が不要となる関係で、これを廃止するものであります。
それから、いま申し上げました旭川刑務所の一部分、岡山刑務所の一部分、それから川越少年刑務所の一部分、浦和刑務所の一部分、これだけの施設を新築または増築するという関係の、国と新都市開発センターの建築交換契約ができております。
その後、小菅刑務所、中野刑務所が加えられ、また、豊多摩刑務所は浦和刑務所と名称変更されました。いまの中野刑務所は、これは豊多摩刑務所とかつて戦時中申しておりました。終戦直後にこれを浦和に移転した形で、浦和の施設を使ってそれが豊多摩刑務所ということになったわけでございます。
○政府委員(勝尾鐐三君) 浦和につきましては、約一万二千坪あと地を利用することになっておりますが、そこに浦和刑務所がなくなりますので、川越少年刑務所の拘置支所として、検察庁が浦和市にございますので、そのための拘置支所、それからさらに懸案になっております裁判所、検察庁、公安調査局あるいは法務局等の合同庁舎を建設をする。
したがいまして、そこへ現在の浦和刑務所を移してまいりたい、そういう計画でございます。
そのほか、現在懸案になっております庁が、浦和刑務所はじめ六庁あるわけであります。これらのものにつきましては、すでに数年前からわれわれも、都市の発展により、あるいは建物自体の問題等からしまして、移転を実施いたしたいと考えているわけでございます。ただいま大臣からお話がございましたように、最も大きな問題は移転先の適地を獲得することでございます。
○石原幹市郎君 いまたまたま浦和刑務所の話が出ましたが、実は私は昭和七、八年ごろ浦和の県庁におったのですが、いまから三十年以上前ですが、そのころから、非常に町のまん中にあって、県庁の横にあって、不適当なところと思われていて、論議のまとになっておったのですが、三十数年たった今日、まだ代替地がないとかどうとかというようなことで、今度は、浦和もあんなに発展しておるわけですが、こういうようにやはり候補地がないからしようがないとか
○政府委員(大澤一郎君) 浦和刑務所の問題につきましては、私自身すでに七年関与しておるわけでございます。これはほんとうのところ、移転先の敷地獲得難がただ一つの移転を不可能にしている原因でございます。これにつきまして、われわれも代替案を出しまして、われわれの心組み等も浦和市あるいは埼玉県等にも話しまして、現在ある程度の腹案が進みつつあるわけでございます。先日も会合いたしまして、話を進めております。
種々慎重な検討をいたしました結果、特に緊急度の高いところから考えまして、われわれといたしましては本年度におきまして浦和刑務所外五カ庁において二十三億八百余万円の国庫債務負担行為を要求いたしておるわけでございます。
「浦和刑務所外五庁について」という文字がございますが、この中に徳島は入っておるのでしょうか、おらないのでしょうか。
その第二点は、刑務所の名称の変更の点でありまして、現在、浦和市に置かれている刑務所の名称が豊多摩の刑務所となっておりますが、この名称をその所在の地名を冠した浦和刑務所に改めようとするものであります。 本日の委員会におきまして、別に質疑もなく、討論を省略し、直ちに採決いたしましたところ、全会一致をもって原案通り可決すべきものと決定せられました。
第二点は、現在浦和市に所在する豊多摩刑務所を浦和刑務所と改称することであります。 本案は、三月二十二日本委員会に付託され、政府の説明を聞き、五月十一日質疑を終了し、討論もなく、直ちに採決いたしましたところ、全会一致をもって原案の通り可決いたしました。 以上、御報告申し上げます。(拍手)